PM10時30分。
薄暗い社内に、キーボードを叩く音が響く。
また残業かあ。
僕は、ため息をつきながら、隣の席を見る。
君はとっくに帰ってしまった。
他の連中も。
一人でパソコンに向かっていると、昼間の事が思い出されて頭をかきむしりたくなる。
千載一遇のチャンスだったのに。
いつも僕はこんな調子だから、未だに彼女の一人もいない。
同僚は次々と結婚していく中、財布からお札だけが旅立ち続けている現状。
やっぱり、もっと愛想よくないとだめだよなあ。
あそこで、うまい話題でも振れたら、君も少しはこっちを向いてくれるかもしれないのに。
・・・いかん、妄想だな。
僕なんかにはもったいない子だ。
そう妄想を振り払い、仕事に戻る。
と、入り口に人影が動いた。
はっとして、僕は振り返る。
「あ、やっぱり。まだいた」
と、君は言った。
「ほら、栄養ドリンクとおにぎり。
あと、おかずも」
君は微笑みながら、袋を差し出した。
「それとスープも作ってきたから、よかったら飲んでください」
そう言って、水筒も差し出す。
僕は、突然のことにことさら無愛想になりながら、あいまいなお礼をする。
「あ・・・うん、まあ、あり・・がとう」
「いーえ」
ごにょごにょと君がその後なにかを続けた。
「え?」
僕はうまく聞き取れなくて、君を見ずに聞き返した。
「だから」
じれたような声がした。
と思ったら、君の手がこっちへ伸びてきて、僕の顔を無理やりそちらへ向かした。
僕はあまりのことに言葉がでない。
「だから、お礼はデートでいいですから」
君の顔は真っ赤だった。
怒ったようなすねたような顔をしていた。
僕はといえば、呆けたような顔をして(実際呆けていたわけだが)ぼーっと君を見ていた。
怒った顔もかわいいなあ。
と思った。
君は、真っ赤なまま続ける。
「半年前、お弁当毎日作ってきてえらいって言ってくれたでしょう?私、それがとってもうれしかった。あれから、もっとまじめにお弁当作るようになったし」
そういえば、そんなことも言った気がする。
君はさらに続ける。
「この半年間、延々とモーションかけてるのに、全然気づいてくれないんですもん。
望み無いのかと思ったけど、でも間違ってたらごめんなさいだけど、あなたも好意持ってくれてそうだったし・・・思い切って」
それに・・・、と君は言った。
「誕生日だったでしょう?」
言われてはじめて気が付いた。
そうか、今日は僕の誕生日だ。
「実はケーキも、買ってきました」
君は、もうひとつ紙袋を持ち上げた。
ショートケーキだけど、と君は付け加えた。
僕の頭の中では鐘がなっていた。
リンゴーンカーン。
まさにそんな感じ。
まったくおめでたいことに、無機質な机とパソコンと紙だらけの部屋に、いっぺんに花が咲いたような気がした。
現実、おめでたくて涙が出そうだった。
僕は力いっぱい君を抱きしめた。
君の肩のあたりからするいい匂いをこれでもかと吸い込んだ。
眩暈がしそうなくらい芳しい匂いだった。
「いたい、いたいよ」
君がびっくりしたように言った。
もう少しで君は、地面から浮いてしまいそうになっていた。
ケーキの紙袋は押しつぶされていた。
あ、またやったな。
と、思った。
これだから、僕というやつは。
いつも加減をし損なう。
僕は力を抜いて、もう一度、慎重に君を抱きしめる。
今度は痛く無いように。
君が笑った。
「ケーキ、だめになっちゃった」
「食う」
即答した。
僕の話はこれでおわり。
手づかみで食うぼろぼろになったケーキは、今までで一番うまいものだったことを付け加えておく。
そして、まだ続いてる。