まず、1発打った。
弾丸は篭った爆音をたて彼方へ飛び去る。目はその先一点を見つめていた。
その先にやつはいた。
明らかに笑っていた。
アクセルは2発、3発目も続けざまに打った。手がその衝撃を受け止めぴりぴりした。
ああ、まずいな、そう思った。
やばい相手だ。
いつもは横柄で、不遜な彼も、さすがに真剣に自分の余命を疑い始める。
もしかしたら、俺はここで死ぬのかもしれない。 M92Fの弾丸はあとどのくらい入っていただろう?
そんな骨董品を持つのは止めろ、と署長が言っていたのを少し思いだして、心の中でため息をつく。
無駄だ、きっと。あと何発あっても、やつには届かない。
いや、届いているのに。 確実に1発目がひょろりとなまっちろい身体を貫いていく音が聞こえたのに。
むろん、銃だけは署内一と謳われたアクセルの腕だ。2発目も3発目も、それは同じで、だからやつの身体には合計3発の弾丸が通り、またはめり込んでいるはずなのだ。
なのに。
そいつは笑っている。
嫌な汗が噴出してきた。手がその汗でじっとり濡れ、滑りそうになる。
こーゆうときの為にガムテープをグリップにまいていた誰かがいた、ああそうだ、裏手のバーで見た昔のものすごく古いDVDの中だった。埃をかぶった、おそろしく年代物のTVに付属で再生専用機が乗っかっていた。ものめずらしくて、アクセルはそれを最初から最後まで見終わるまで12杯ものビールを飲んだ。
腹が風船のような感じになったのを覚えている。
今はもうDVDなんて物は過去の遺産だが、昔はこれでも娯楽の一部だったはずだ。
3D体験をリアルにできる脳内チップが数年前に開発されてからというものあっという間に誰もが、外付のカードリーダーのスロットにお好みの情報カードを差しこむだけで、自動的にその脳内に埋め込む形のチップに情報が信号化され送られる為、どんな種類の情報も会得することが出来るようになった。
しかもそれは、えらくリアルだ。
嗅覚にも聴覚にも5感すべてに作用する情報。受け売りの知識も体験したような感触が得られる。 最近は病気の治療に用いられたりもしだした。今のところ情報を送りこむだけなので、そのシステム自体にはさした問題や副作用のようなものは認められない。つまり、勉強も娯楽も健康も、極端な話恋人に対するような恋愛感情ですら、金さえ払えば、手に入れることができた。
だから、それを狙って頭のいい、だが根性の曲がったやつらが増えた。
時代が変わっても相変わらず働き蜂のような警察官達はそんなやつらを追った。
彼らは逃げた。
俺達は追った。
そのイタチゴッコこそが世界を回している。
そして、その世界の一端がここだった。
アクセルは不敵に笑うやつを探った。
(どこが弱点なんだ?「ソフト」はどこだ?)
やつが、脳内チップ用情報カード、通称ソフトの情報によって、自らは何の危害も受けていない(つまりそれは究極的には不死身だと思われる)と「錯覚」していることは間違いなかった。
(ばかなやつだ)
もう自分は死んでいるのに、それに気がつかないなんて。
しかし、まあ、そいつは不気味に笑いながら、尚もアクセルに詰め寄る。
手にはナイフなどという、原始的な、しかしとても確実な凶器を握っていた。
なにしろ、「情報によると」生きているはずなのだから。何をやっても、何事もなかったように動き続けるだろう。止めるには足を切断するか、脳のチップを取りのぞくか、ソフトを破壊するか。
正直やっかいな相手だった。
最近この手の事件が多い。もっとも、規制が架け始められたのだって、ここ一年かそこらだから、犯罪にならなかっただけなのか。まあ、それもイタチゴッコの一環に過ぎないのだが、とにかく今、身体健康情報に関して(つまり間違った、脳は動いていないのに身体を動かす情報信号が出るよーな)明らかにおかしいものは違法だ、ということだ。
(じゃなきゃ俺たちゃやってられねーよ)
そう、刑事課現場専門のアクセルは思う。
ゾンビがうじゃうじゃいるようなもんだ。
ここはいつからゲームの世界になっちまったんだ?
今目の前の無思慮な顔で口元を緩ませている男は、すでに3発の弾痕からだらだらと血を流し続けている。なのに、その場に崩れず、倒れず、アクセルに向けた刃を光らせていた。
どこかで、この手の非合法のソフトを売りさばいてるやつがいる。
それもかなり大きな。
それを。
嗅ぎ当てて来い、アクセル。
3日前署長のエバンズが言った。
3日、3日以内だ。
とも言った。
そしてその3日目、張っていた部屋の男が死んだ。
政財界の大物、ドミニクだった。彼は多くのソフト会社の、有力なスポンサーでもあった。
仰向けに倒れ、澱んだ目玉のその横で、もう一人男がそれをうっとりと見つめていた。意識がどこか遠いお空にでも行っているような顔だった。
「おい」
踏みこんだアクセルはそいつに声をかけた。
「NY市警だ、手をあげろ。」
だがいいかげんお決まりの台詞も届いてないようだった。アクセルはもう一回言う。今度はゆっくり、はっきりと。
「警察だ、その手をあげて、こっちを向くんだ」
今度は声が聞こえたのか、そいつはゆっくりとこちらを見た。アクセルは銃口をポイントしたまま、顔を確認した。にたあ、っとそいつの顔が歪んだ。
血の気が音を立てて引いた。
おぞましい物に肌が粟立っていく。血みどろの手にはナイフがぬめぬめと光っていた。
「・・・・おまえが刺したのか?」
アクセルは聞いた。
やつは笑ったまま首を傾げた。
まるで新しいおもちゃをみつけたように。
白い歯がこぼれ動いた。
そしてそれはアクセルの耳に届く。
「君を?」
*
アクセルは下したての自分のジャケットを眺めた。
(昨日下したばっかりだってのによ、200クレジットもしたんだぜ?)
誰にともなく呟く。これから起こる事を予想して。
(署長に請求してやる)
けれど、それが弁償されることはないだろう。つまり働き蜂とはそのような処遇の物なのだ。
ああ、哀愁。
茶化して悟ったようにそう思って次の瞬間、アクセルは男の頭上目掛けて脱ぎざまそのジャケットを投げた。 男がその動きに反応し上を仰ぎ見る。そして、ナイフを持っていない方の手で振り払った。
アクセルはその瞬間を見逃さない。
片方の手はもう一方の動きに気を取られて機敏性を失っていた。目がそれを認識するかしないかの内、すかさず愛器をぶっ放す。銃声の直後、カキン、という音を立ててナイフの刃先が折れた。
「ビンゴ!」
アクセルは短く口笛を吹いた。
ジャケットよ、短い付き合いだったな。けっこう気にいってたのに。
血がべっとりとついたそれは今床にばさりと落ちた。
しかし、ため息をついている暇はない。 すぐさま彼は男に向かって走る。折れたナイフを握りしめながら男は表情を変えない。張りついた笑いを向け、アクセルに尚もにじり寄る。
アクセルは右足でその手を蹴り上げた。甲に金属の当たる鈍い痛みが一瞬走った。
それを無視し、怯んだ男の懐に入り片足で落ちたナイフを向こうへ滑らせる。そして、胸座を掴みあげて言う。
「「ソフト」はどこだ?」
呆けた顔をしていた男が、再びにたあり、と笑った。
アクセルはもう一発打った。
スライドがひらっきぱなしになった。
ということは、これが本体に入った残りの1弾だったのだ。
そして死体がもう一体出来た。
*
「誰が殺せと言った!!」
署内に入るなり声が雷よろしく飛んでくる。
どこかに俺が入ってきたっていう探知機でもあるんじゃないのか?
と、思う。
しかし、すでに慣れたもので、アクセルは平然と流した。
「じゃなきゃ俺が今ごろドブでねずみの餌っすよ」
しかたがない、あの男はもう、死んでいたのだ。頭をふっ飛ばしてやらなきゃいつまでも這いずり回っただろう。自身の血が抜けきるまで。
「ぐっ・・・・減らず口が。それで、掴めたのか」
それさえやってくれれば文句はないとばかりに、重く問う。エバンズもまた、今回のケースには手をやいていた。
「ええ、まあ。回収はしましたけどね。でも署長、これやばいんじゃないすかね?」
アクセルはそう付け加えながらエバンズに一枚のカード状のモノをちらつかせる。ドミニクを殺した男の死体が持っていたソフトだ。
「やばい?何故だ?」
エバンズは訝しげに眉を潜める。
「それはここじゃちーっとばかし言えないんで」
アクセルはソフトを持ったままにっと笑った。
それを見てエバンズは心底嫌そうな顔をした。
「・・・向こうで聞こうか」
顎でしゃくった先に、区切られた署長室があった。
*
「これは・・・」
エバンズは苦虫を噛み潰したような顔をしてアクセルを見た。
アクセルは降参のポーズをとり答える。
「やばいでしょ?」
「ううむ」
それっきり黙ってしまった横でアクセルは茶化すように言った。
「嘘じゃないっすよ」
「・・・・しかし、これが本当ならえらいことだぞ」
「ああ、まあ、そうですね」
つまりこうだ。
押収したソフトは当然隅から隅まで調べた。
知り合いの日系人ユージの所に持って行って、半ば強制的に。泣きながら情報屋兼自称ハッカーのユージはそれを調べた。
「・・・高くつくぜ」と呟いていたが、アクセルはブロンド美人のいい店を紹介する、と言って手を打たせた。言った後、ジャンクだらけのユージの部屋で、処理速度が大幅に上がったのは言うまでもない。
ソフトには名前が付けてあった。
「ALIVE」
アクセルは声に出す。
生きている。
・・・確かに、生きているかもしれない、動いている、という意味では。
「悪趣味な名前っすね」
エバンズが彼を鬼のような顔で睨む。動いたわけでもないのに、椅子がギイと音を立てた。
アクセルは肩をすくめる。
「笑い事じゃないぞ」
「はいはい、分かってますよ」
ALIVE、その名前のソフトにはどうやら常用性があるようだった。一種の麻薬に近い。脳内エンドルフィンを出すらしい。しかし、問題はそこではなかった。
組込まれたプログラムに巧妙に隠してあった、人物の名前だった。
何重にも重ねられたトラップやプロテクトを掻い潜って浸入したユージが興奮した声を上げる程の。
「おい、アクセル!こりゃあすげーぜ」
その名は、コンピュータ界の重鎮から生物学者界の第一人者、財界を牛耳る大物まで、多彩ながらその世界の者なら誰でも知っていそうな名前ばかり5人。
その頭文字を取って、すなわちALIVEだった。
「・・・・世界がひっくりかえるってわけだ」
「ああ、これが知れたらまさしく「コト」だ」
ユージはそう言ってそのソフトを凝視した。
「まったく、恐ろしいやつもいたもんだ。恐すぎてゴシップ記事にも売れやしねえ」
アクセルは同意した。
「・・・・ああ」
エバンズは頭を抱えていた。
「これは・・・・由々しき事態だぞ」
「・・・そっすね」
これが公になれば、世界の秩序を握るモノがまったく意味をなくすかもしれなかった。
「・・・で?」
「・・・上に報告する」
ああ、そうだろうなあ、とアクセルは思った。警察も所詮上下社会だ。
そしてそれはそこで止まるだろう。
今現在、世界とはそーゆうものだ。
「・・・・署長」
アクセルは低い声でエバンズに切り出す。
エバンズは嫌な予感が的中したことを知った。
「あと3日、待ってください」
ため息が出た。
(止めても聞かないんだろうが)
アクセルとはそういう男だった。その意思の中のスリルへの抗い難い好奇心を含め。しかし、エバンズは少なからず、まだこういう男が自分の部下であることを誇りに思う。言葉には出さず。エバンズもまた若かりし頃はその意欲に燃えていた事を懐かしむように心の中で目を細めた。
「・・・俺の首を飛ばすなよ」
そう言って背を向けた。
窓越しに混沌の世があった。
「イエッサー」
軽く敬礼してアクセルは踵を返す。
その混沌に足を踏み入れる為に。
(無茶はするなよ・・・)
その気配を背後に感じながらエバンズはもう一度ため息をついた。
*
「おまちください、アポイントメントはおありですかっ」
後ろから声が追いかけてきた。 アクセルはそれを無視し、さっさと進む。
まず訪れたのは、頭文字一番目のアレクシスの邸宅だった。
アレクシスは現脳内チップのスポンサーであり、財界一の大物だった。その為にさらに莫大な富を手に入れている男。
護衛を張り倒しながら、アクセルは奥へと向かう。
寝室にその男アレクシスは居た。
「やあ、これはまた随分と威勢のいいのが来たな」
にやにや笑いながら、傍らに侍らせた半裸の女達に手を滑らす。
女達は嬌声を上げる。
アクセルは尋ねた。
「ALIVEを知っているな?」
その名を聞いて男は顔色を変えた。
女達に目で合図を送り下がらせる。
そしてアクセルに向き直った。
「・・・どこで知った?」
「知っているんだな?」
「・・・・答えろ」
ドンらしく、脅すようにアレクシスが聞いた。
「・・・ここさ」
アクセルは自分のポケットを軽く叩く。
男の目がぎらりと殺意を帯びる。
「おっと、俺を殺しても無駄だぜ?まだコピーはあるんだからな」
アクセルの言葉に、アレクシスは明らかに舌打ちした。
脂ぎった額に汗をかいていた。
「・・しくじったな・・」などとぼやいている。
(この男、よっぽどこれがバレルのが嫌らしい)
およそ、ドンらしからぬ行動だった。
(ますます興味が沸いてきたぜ)
アクセルは威圧的に言った。
「取引をしようじゃないか、なあ、アレクシス」
財界のドンの屈辱に満ちた顔が拝めるなんてめったにない事だった。
*
一時間後、アクセルとアレクシスはニューヨークのど真ん中にいた。
「・・・よお」
「なんだ」
アレクシスは不機嫌に答える。
「こんなとこ連れてきてどーすんだよ」
「うるさい、すぐ分かる」
そこは普通のビルだった。
しかし、アクセルには思うところがあった。
ビルの持ち主はアレクシス。
しかし、ここは。
確か、神経学者でもある薬品開発者、ビクターの研究施設だった。
(つまりVか)
一人心で思う。
表向きは製薬会社だったはずだ。ここに何がある?
ビジネス街の中。 アレクシスはそこに足を踏み入れる。 アクセルもそれに続いた。 エントランスを過ぎ、奥にあるエレベータへ向かうと、アレクシスはその非常電話を取った。
「・・・わたしだ、これから男を連れていく」
アレクシスはくぐもった声で伝える。緊張したようなこわばった声だった。向こう側の声は聞き取れない。ガチャン、と何かが外れる音がする。
そのままエレベータは静かに動き出した。
*
アクセルは目を見張った。
エレベータは延々と降り続け、10分も過ぎた頃やっと止まった。
「俺はまた地獄へでも行くのかと思ったぜ」
そうひとりごちて、アレクシスを見る。
「黙ってろ」
そう言うアレクシスの目に前に広がる空間を見たとき、アクセルは本当にやばいものに手をだしたんだということを理解せざるを得なかった。
そこには辺り一面緑の公園のようなものがあった。
「・・・俺はニューヨークの真中にいるはずだが?」
「その通りだ」
アクセルは辺りを見まわした。
公園内にはさまざまな人種の人間がいた。
ただしみな子供だった。
「・・・・ここは保護施設か?」
その言葉にアレクシスは一瞥を投げ、進む。アクセルは問うのが無駄だと悟り後について行く。子供達は物珍しそうにアクセルを見ていた。
その中でも金髪の少年がひとり、彼を凝視していた。
通り際目が合った時、不思議な感じがした。
「出てけ」
頭にそう聞こえた。
そう、耳にではなく、頭に。
確かめようと思い振り向いた時にはすでに、少年の姿はなかった。なにか異質な物が、背後に潜んでいるようで、アクセルはぶるりと身震いする。
あるいは。
武者震いか?
そうも思う自分自身に呆れながらも。
アレクシスはそれから程なくして、ひとつのドアの前でぴたりと止まった。
瞬間、プシュッ、と空気の抜けるような音がして、重厚なドアは滑るように動く。
財界のドンの顔が一層真剣味を帯びた顔になる。その様子を横目で見ながら、アクセルは開いたドアの中身を確認した。
そこに老人が一人、いや二人、座っていた。そしてその後ろには先刻の少年が老人の座る椅子にしなだれるようにして居た。
金色の髪が透けて、白一色のその部屋で浮いているようだった。
一人の老人がその白金の糸に指を絡めながら、こちらを見た。
猫のように少年は背を丸めて、老人の後ろに隠れる。
「なんだその男は。キースが恐がるじゃろうが。まったく粗暴なのはお前で充分だというに」
老人は早口でまくし立てた。アレクシスは貶されたというのに、下を向いて恐縮している。
なるほど。
これでもうひとつ分かった。
財界きっての豪腕と名の高いアレクシスのような男よりも、この老人の方が格が上だ、ということか。
「なあ、キースや」
キースと呼ばれた少年が少し顔を出し、アクセルの視線とぶつかるや悪意を剥き出しにしてきた。
「・・・この人、なにしにきたの?」
やはりさっきのは勘違いか? 確かに頭に響く不思議な感じだったのに、とアクセルは内心首を傾げた。
今声は普通に耳を通して聞こえたからだ。
「おお、この人、だなどと。おまえはこんな輩と口をきく必要などないのだよ。
アレクシス、さっさと用件を済ませ。そして「それ」を早くここから出せ。空気が汚れる」
「あ、はい。それはもう・・しかし、ですね。こやつ、例のソフトを所持していまして・・・」
「・・・アレクシス」
ビクッ。
呼ばれたアレクシスの肩が、隣に居るアクセルにも分かるほど、震えた。
老人の目が陰気に揺らぐ。
キースという少年が、あーあ、というようにため息をついた。
「あ、あの・・・まことに申しわけ・・・」
「アレクシス」
「は、はいっ」
「私は寛大だよ」
もはやアレクシスは威厳の見る影もなく、脂汗をだらだら流している。
「お前のような物にすら。飽きれるほど寛大だ。・・・なあ?そうは思わないか?」
「ええ、ええ、それはもう。もったいない限りでして・・・」
謙ろうとした言葉を遮り、打って替わったすごい大声で罵声が飛んだ。
「ならば、せめて役に立て!!この守銭奴めが!」
「は、はいぃっっ」
飛びあがらんばかりにアレクシスが敬礼する。 老人は怒鳴ったせいか、赤い顔をして肩で息をしていた。
「・・・・よお」
アクセルはもういいですか?とばかりに老人に話しかけた。
「あんたがビクターかい?」
ぎっ、っと老人はアクセルを睨む。
ものすごい殺気だ。
「小僧口の聞き方に気をつけろよ・・・」
明らかに不機嫌な声はアクセルに向けられる。
その時、室内の奥からもう一人が声をかけた。
「まあ、いいじゃないか、エリオル」
老人はエリオルと呼ばれた。
エリオルは話しかけた方、こちらは良く見ると老人というにはまだはや過ぎる年齢といった感じだったが、その顔を見てふん、と鼻を鳴らした。
「・・・お前の名前に免じて、見逃してやるとしよう」
「ありがとう、そうしてくれ」
穏やかな顔で腰掛けていた椅子で足を組みなおす。 その椅子は上から吊られでもするように浮いていた。
出やがった、黒幕が。
アクセルにはぴんと来た。
「君、彼はエリオル、一度くらい名前は聞いたことがあるだろう?その人だよ」
「あ?ああ、コンピュータ界のお偉いさんか」
つまりE。
「そうだ。君が持ってるソフトや脳内チップの基盤を作った人だよ」
張りのある声でなにが楽しいのか、愉快そうにアクセルを眺めている。
「・・・てことはあんたがビクター?」
「小僧、いいかげんに・・・」
いらついたエリオルの声を制し、ビクターはそうだ、と頷いた。
「なるほど。で、そのお偉いさん二人が何を企んでいるんだ?」
「世界の正常化だよ。普通だろう?私はその手伝いをしているだけさ」
ビクターはさらりと答える。
しかし、その奥に凶暴な光がちらりと燃えるのをアクセルは見逃さなかった。
「へえ、死んでることを「ナシ」にするってのも、その「正常」なのかい?」
途端、エリオルの声が飛ぶ。
「ビクター、こわっぱなぞ、はよう消してしまえっ!」
「こえーなあ、爺さん、血管切れるぜ?」
「ああ、えーと、ミスタ・・・?」
「アクセル」
「アクセル、君は結局のところ何をしににここへ来たのかね?」
アクセルはじっとビクターを見た。
若くはない。しかし、堂々とした態度と、ぴしっと伸びた背筋が彼を多分歳よりも数年若く見せていた。
白衣に身を包み、ヌメ革の質の良い靴を履いていた。
「取引さ」
アクセルは言った。
「なるほど」
さも、真面目そうに、しかし笑いを含んだままビクターは頷いた。そのひとつすら、思慮深く隙のない仕草だった。
その時、部屋のドアが再び開いた。
アクセルは振り返り、そして向き直る。
プシュー、空気音と共に入ってきたのはまたもや少年だった。
「・・・ここには子供しかいないのかい?」
「ああ。地下にいるのは、皆彼の家族さ」
ビクターはエリオルを指し答える。
「・・・なるほど」
いかにもそんな感じだ、とは思ったがアクセルは口には出さなかった。
「これは、違うがね。トール、みなさんにご挨拶を」
促され、トールと呼ばれた少年は、小さく挨拶する。
「こんにちは」
「おお、トールや。元気かい?お前の顔がみれるなんて、嬉しいよ。しばらく見なかったから心配していたのだから」
さっきまでの怒気はどこへやら、打って変わった猫なで声でエリオルのしわがれた喉が鳴る。
「ごめんなさい、エリオル。僕、ちょっと体調を崩してて・・・」
「それはいかん、ビクターにすぐ診てもらわにゃ・・・」
トールはビクターをちらっと見て、すぐエリオルの手を取った。
「大丈夫、もうよくなったから」
逆に労わる様にその手をさする。 トールが手を離した後も、エリオルは触れられた己が手を撫でまわしながらキースを促した。
「そうかい?ほれ、キースや、トールをこんなところに長居させてはいけない。
大事な身体に毒じゃ。早く連れ出しておやり」
ビクターはただ微笑んで、その様子をみていた。
「うん、行こう、トール」
「そう?・・・でも」
トールは困ったようにビクターを見る。
ビクターは頷いて、エリオルに声をかける。
「いいじゃないか、エリオル。どの道、彼はもうここから帰れないんだから」
同じようにさらりと。
エリオルはそうかそうかと頷いている。
「・・・・やばいかな?」
アクセルは誰にともなく呟いた。
ビクターは満足気な顔をした。
「頭は悪くないようだな」
「ドミニクを殺すよう指示したのはあんたか?」
ふん、とエリオルがまた鼻をならした。
「そんなもの、誰でもわかる。どちらにしろ、あの男は知りすぎて鼻につき出していたし、大体が金のことしか頭にない阿呆だ」
ぎろり、とアレクシスを睨みながら、吐き捨てる。
キースがざまあみろ、と口の動きだけで言っていた。
「貴様が警察の犬なのは分かっているんだ。どこまで、かぎつけた?さあ、言え!!」
「なにも。まるで分かってないさ」
ゆっくり慎重に言葉を選ぶ。
背中を冷たい汗が伝った。
トールがじっと自分を見ているのが分かった。
「ただ、俺を殺せば、ALIVEの全情報を明日の朝一番でマスコミ中に流す手筈になっている」
嘘っぱちだった。
苦し紛れのそれに、しかし、エリオルは慌て始めた。
「なんじゃと?もうそこまでかぎつけたか!?ビクター、どうする?まだ、準備は出来きっておらぬぞ!
実行前にチップを取り外されては、計画がぱあじゃ!!殺し合いが始まらん!」
どうやらこの老人、お勉強は出来るが、相当口は軽いらしい。
アクセルは心の中で舌打ちした。
(そういうことかよ)
殺し合いをするようソフトから情報を送る。今や誰でも安価でチップを手に入れることが出来る為、人間という人間はチップを入れている。だから、ソフト市場さえ乗っ取ってしまえば、あとは巧妙に細工した殺人信号を送るだけでいい。
なにしろそれらを作った張本人だ、そんな細工すぐにできるだろう。そして彼らはこの地下で、優雅に地上に人がいなくなるのを待つ。核でも使わせれば、1発だ。
ひとっこ一人居なくなった地上で、高笑いするエリオルが一瞬浮かんだ。
本気で気分が悪くなる光景だった。
「そうだよ」
と、トールが言った。
「?」
今、自分は心の中で言ったはずだが?
・・・・なにかがおかしい。
「こんなやつと口を聞くなど。汚れてしまうから止めるんじゃ。我らが神聖な子よ」
トールは困ったように頷いた。
「取引、とは。嘘の取引をするためにここに来たのかい?アクセル」
これはお笑いだ。
いぶかしむアクセルを他所にビクターは声を上げて笑った。
「・・・なぜ嘘だと思う?」
「なぜ?」
くくと、含みつつビクターはトールに確認するように聞く。
「トール、彼は嘘をついているだろう?」
「・・・・うん」
トールはアクセルをもう一度見、YESと言った。
「・・?」
「はっはっは。トールに分からぬものなどないよ」
ビクターはまだおかしくてたまらない、というように笑いながら言った。
「トール、行きなさい。血なまぐさいのは嫌いだろう?」
「でも・・・」
「大丈夫、新しい世界に必要ないものを捨てるだけだよ」
それを受け、トールはしぶしぶ部屋から出て行こうとし、一言付け加えた。
「彼、銃を持ってるよ」
アクセルは驚く。
なぜ、自分が銃を持ってることが分かったのだろう。
「おい・・!」
呼んだときにはもうすでに少年の姿はなかった。
「おい、蛆虫めが」
かわりにエリオルが彼の目の前に来ていた。
近くで見ると尚よぼよぼで、杖がなければすぐに倒れてしまいそうだった。
目だけがらんらんと光っていた。
「俺にはアクセルって名前がついてるんだがな」
イグアナだってもう少しかわいげがある、そう思いながら、アクセルは正したが、エリオルが受け入れるわけもなかった。
「名前なぞ生意気じゃ」
「・・・爺さん、あのえらくべっぴんな少年は何者だ?」
アクセルが聞いた途端、硬いものが頬を打つ。 口の中に鉄の味が広がった。
「口を慎め!!トールは少年ではない!
性別はないのだ。生まれつき、汚れなきうえに類稀なる力を与えられた子じゃ。
お前などが名を呼んでよい相手ではないわ!」
「・・・・同じだろ」
人間なんだから。
言いかけに、また杖が飛んできたが今度は避ける。
「うるさい、貴様なんぞ蛆虫より劣るわ。生き残るのはわし等のような優秀な遺伝子を持った者だけじゃ。なあ、キース」
エリオルはキースに向かって問う。
キースはそうだ、と頷いた。
「僕らは選ばれたんだ。後代に残すべき存在として」
目がらんらんと意地悪く輝いていた。 まったく旦那と同じ性格らしい。
「理解できないね、その趣味」
毒づくも、エリオルは勝ち誇って下卑た笑いを浮かべている。
ビクターがその背後からまだ椅子に座ったまま声をかける。
「・・・残念だよ」
「なにがだ?」
「私はね、アクセル。君のような向こう見ずな若者が好きだよ」
小型の最新型ガンから小さな音がした。
パシュ。
その弾が飛ぶ。
アクセルはとっさに腕で急所を庇った。
しかし、弾が向かったのはエリオルだった。
「なっ・・・・」
声を上げる間もなく、その場に崩れ落ちる。
アクセルはとっさに1歩下がった。と同時にすばやく腰のホルスターから愛器を抜いた。
それを構える間に、キースが駆け寄り血を流す老人を起こそうとする。ビクターは顔色ひとつかえずに、今度はキースをも撃った。キースは血を吐いて、その上に重なった。
「君がドミニクにしたのと同じことだよ。君は少々知りすぎた」
ビクターが当然のように静かに言い放った。
「・・・本当に残念だ」
「・・・・エリオルは仲間じゃなかったのか?」
構えたままアクセルはビクターを凝視する。
「仲間?」
ビクターが眉を器用に上げ、おどけた表情をした。
「まさか。使わせてもらっただけだよ。しかし、彼はすこし口が軽すぎた。
困ったものだ。君を殺しても、彼が生きていれば、どこからでも情報はもれただろう」
「・・・他の2人は?」
「ああ、ALIVEのLとIかい?あれはもう今ごろ安眠中さ。さっきトールが教えてくれたよ」
つまり、もう消されたのか。
計画は実行されて、佳境ということだ。
「ひどい話しだ」
「そうかい?人間がしてきた数々のことに比べれば、大した事はないだろう?」
おそらくはLのルイスも、Iのイアンも、その著名度や人脈をソフト普及の為のダシにされたのだ。
ルイスは有名な運動選手、イアンは全米でもかなりの顔の売れた俳優だ。有名人の言う事は正しい、と思うのは人の悲しいサガだが、それを逆手にとったわけだ。おかげで、最初は脳内チップを胡散臭がっていた者も、結局使い始めどんどん普及していった。
「イアンもルイスもいい宣伝をしてくれたよ。だからせめてものお礼にソフトの名前にしてやった。
それで十分だろう?」
アクセルに銃口を突き付けながら、ビクターはどういう仕掛けか宙に浮く椅子ごと、すいーと近づいてきた。
「そろそろ、準備も整ってきたのだ。エリオル達はまだ知らなかったがね」
「そこになにが出来る?」
「トールと私の新しい世界だよ。誰もいない、最初の二人になる」
「・・・・あんたも、あのエロ爺と一緒か?」
「トールは女だよ」
穏やかに、けれど冷ややかに、ビクターは恐ろしいことを話し出す。
「なんだって?」
「彼、いいや、彼女は無性別者などではない、と言ったんだ。
幼いころから女性ホルモンの分泌を抑えるよう投与してきた。だから、「あれ」はあんなになだらかな肢体なのだよ。
もちろん投与を止めれば、身体は女性化するさ。
おもしろいだろう?他のやつらは性別がないんだとあっさり信じて、汚れない存在として崇めたよ。
人は見た目に左右される。
しかも、あれの本来の能力はテレパス、超心理学の用語だが。視覚や聴覚など通常の感覚的手段によることなく、
直接、自分の意志や感情を伝えたり、相手のそれを感知したりすることや、その能力自体をさすこともあるな。
精神感応。思念伝達。遠感。つまり人の思考を読み取ったり、逆に伝えたりできる者だよ。
人は自分よりの範疇にない曖昧なものを神聖としようとする、不思議な生き物だからな。
愚かだよ。
だが、あれの美しさはそこではない」
ビクターはそこまで言って椅子から立ち上がった。 アクセルは銃を向けたままポイントを上にずらす。しかし、ビクターは動じもせず話し続ける。
「アクセル、君はなんだと思うかい?」
「知らんね、そんなことは知りたくもない」
そう言うと、ビクターはやれやれというようにため息をついた。
「もったいないことだよ、それは。
・・・まあ、どうせ知ったところで、あれは私の物でしかないのだから、無駄かもしれんな」
満足気に頷き、彼はアクセルをまっすぐ見た。
「あれは女だ。私のな。そして、永遠に共にいる」
「どういう意味だ?」
「あれが私を産むのだよ。
私が死んでも、私は生き返る。
そうしたら、永遠に確立された絆が出来あがるだろう。
永遠に割って入ることはできない、そうだ、永遠にな。
あれと二人で、世界を作りなおすのだよ。
美しいだろう?目に見えない鎖さ。
絡みついたそれは甘美だ、とても。
私だけがあれを所有する。
あれはそれから逃げられない」
反吐がでそうだった。
ビクターの目はさもすばらしいというように、細められていた。
その中に特有の狂気が見えた。
永遠に魅入られた男。
残念なことに、それを望んだとき、彼にはそれを叶えることのできる才能があった。
「狂ってるぜ、ビクター」
「ああ、知っているよ。だが、私はあれと永遠が手に入るのなら、何でもやると決めたのだ。
トールに会ったその日からね。
可哀想に、あの綺麗な心は、汚泥のような感情や中には好奇に晒されて、侵食されるがままだったよ。
私がこの薬品会社の試験薬の臨床実験協力者を募集している時だった。
あれは、連れてこられた。モルモットとしてね。散々そうしておもちゃにされてきたのさ。
それをドミニクが私の機嫌を取ろうと寄越したのだ」
「・・・・」
にわかには信じがたい話だ。
しかし。
確かにトールは自分の考えを読んだ。ちょっと考えれば、思いつくことだったのかもしれないが。それでも、ビクターの口ぶりからは本気で言っているようにしか見えなかった。
「その頃、チップの概念をすでにまとめていた私はエリオルに声をかけた。
あの男は常々学のない人間や下層の者達を嫌っておったからな。
一掃できる方法を教えてやる、と言ったら飛びついてきたよ。そして彼がそれを製品化した。
後は簡単だったよ、とても。
アレクシスは金に釣られ、イアンやルイスは権力に釣られた。いずれも新しい世での地位を約束してやったら、皆尻尾を振った犬になった。騙されているとも知らずにな。最初の世界には私とあれで十分だ」
冷淡に告げる足元にはその彼らが横たわる。聞こえなくてむしろ良かったのかもしれない。
「君には私の愛は分からんよ」
「・・・押し付けはストーカーの手前だぜ?」
アクセルは皮肉たっぷりに言った。
それを聞いてビクターはくくく、と口の端で嫌味ったらしく笑った。
「あれがそれを?いいや、それはない。トールは私を愛しているよ」
その時。
ビクターの下でぬめりを帯びた手が動いた。
そして彼の足を掴まえた。
「・・・・キース」
キースがその足を血まみれで握っていた。
「往生際が悪いぞ、キース。悪い子だ」
「・・・・ぐ、ビ、クタア・・・」
キースはゆらりとたち上がる。
「・・・そうか、お前もチップを入れられていたか」
そしてそれを動かすALIVEという名のソフト。その頭を狙い、ビクターの手の中でまた小さく2、3度音がする。
「あわれな子だ。おやすみ」
キースは倒れ、もう二度と動かない。
「そこまでだ」
その間に距離を詰めたアクセルが、銃口を突き付けた。
瞬間、ビクターの顔に勝ち誇った笑みが広がった。
「アクセル、女はな」
話続ける間中ずっと銃口は確実に彼を捕らえていた。アクセルは撃った。
死の間際に男は何を思ったか。
静かに言った。
「好きな男になら何をされても許してしまうものさ」
そしてそのまま息絶えた。
銃声が尾を引いて辺りに消えた。
その影でむくり、と身体を起こす者がいた。
*
「・・・よくやった」
はっとしてアクセルは彼を見る。
そこにはついた埃を払うアレクシスがいた。咄嗟にそちらへ銃を向ける。
「おいおい、待てよ、ボーイ」
「なんだ?遺言か?」
アクセルはきっちり威圧した口調で言った。
アレクシスは豪快に笑う。
「ほんとに威勢のいい小僧だ」
しかし、と彼は返した。
おどおどしたドンはもう影も形もなかった。
「あのかわいこチャンを追わなきゃな」
「あんた一体・・・?」
「ああ、敵討ちさ」
「敵討ち?」
「ドミニクはこの世知辛い世の中で無二の親友だったのさ。
どんなやばい橋も一緒に渡ってきたんだ。そのあいつがまたやばいもんに片足つっこんでてね」
「・・・」
「蓋を開けたらこの様さ。そんなら、中から壊滅させてやろう、ってんで機会を狙ってたら、おまえさんがやっちまった」
「ならなんで、撃たなかった」
「最後になったらそうしようと思ってたさ。・・・・出来るなら俺は「一般人」だから撃たない方がいいだろう?」
にやりと、彼は笑った。
「本当は俺がぶち殺してやりたかったんだがね」
アレクシスはそこで下を向いたが、少し間を置いて、顔を上げた。
「結局、ドミニクはあいつらに両足もってかれちまったけどな」
「アレクシス・・・」
アクセルはなにかを言いかけたが、結局やめた。
色々と悪どい事もやってきただろうが、人間、どこかにいいところがあるらしい、と思った。
「あの子を救ってやりな、アクセル」
汚いのは大人だけで、充分だ。そう、アレクシスが言い終わらないうち、死体の山を踏み越えアクセルは走り出した。
「エバンズ、いい部下をもったじゃないか」
かつて自分が下っ端だった頃追い追われた彼の上司に向け、そこに残ったドンは周りを眺め一人ぼやいた。
「刑事にしとくにゃ惜しいよ」
*
トールはすぐに見つかった。
地下と地上を結ぶエレベータの前で座りこんでいた。駆け込んできたアクセルを見て、腰を上げる。
逃げるでもなく。
静かに立っていた。
「ビクターはお前が自分を産む、と言った」
聞きたくないことを聞いている、と自覚しながらアクセルは絞り出すように聞いた。
「どういう意味だ?」
問われた彼、いや彼女は聞かれるのを知っていたように穏やかだ。
ああ、実際知っている、のだ。テレパス、ビクターはトールをそう呼んだ。トールはほんの少しだけ淋しそうに笑った。
「・・・彼は死んだんだね」
「・・・ああ」
知っているのだろう?お前なら。そう言い掛けた言葉をアクセルは呑みこむ。あまりに酷な気がした。
「そう」
確認するように呟く。
しんとした地下に、小さく声が響いた。
「・・・・・アクセル、彼は僕に嘘をつかなかったんだ」
驚いたことに他の誰に欺瞞を働いても、ビクターはトールにだけは真摯であった。多分、それだけが、トールを支えるすべてだったのだ。
出来れば聞こえない方がいい事も、世の中にはきっと多かっただろう。
「出て行け、と俺の頭に呼びかけたのはおまえか?トール」
「うん、そうだよ。・・・君が殺されるだろうと思って・・・」
でも、とトールは肩をすくめおどけるポーズをとった。
「余計なお世話だったみたい」
アクセルは何も言わなかった。
実際は言えなかったのかもしれない。
目の前の異端者は心もとなく、今にもかき消えそうに感じた。
しかし、アクセルは刑事としての自分の役目を思い出す。
(因果な商売だぜ)
嫌気がした。
トールがいいさ、というように、口を開く。
「つまり」
そして、澄んだしかしなんの感情も見出せない目でアクセルをまっすぐ見た。
「僕の身体は文字通り、「入れ物」なんだ」
「・・・・やめろ」
「どうして?本当の事が知りたかったんだろ?僕の身体はあの天才と言われる人が永遠を手に入れる為の箱なんだよ。
このお腹の中には子宮があるんだ、作り物のね。そこで今もすやすやと彼は眠ってる。貯蔵されたそれらを僕は守っている」
「やめろと言っている」
「すごいだろ?だれもそれに気がつかない。僕はテレパスだから、自分に危険が及ぶのを感知できる。だからそのときは逃げる。
下手にどこかに隠しておくより完璧さ。
そして時が来たら、本物の子宮で彼を産む。その子に彼の今までの全データソフトを入れればいい。
そうしたら彼はまた生まれたのと同じになる。理論上はね。
ソフトの一番の目的はそれ」
言い終わるか終わらないかの内、遮るように銃声が響いた。
トールの横を弾丸が抜けて行く。
すっと一筋血が滲む。
「・・・なぜ避けない?お前なら避けられるはずだ」
トールはまた、ひょいと肩をすくめた。
まるで悪戯を見つかった子供のようだった。
いや、実際まだ子供なのだ、彼女は。なのにその顔は、もう間違いなく大人のそれだった。
なにかを諦めた顔。
「だって、アクセル。君には当てる気がないじゃないか」
確かにアクセル程の腕なら逃げるでもないトールの心臓を射貫くことなど、容易い筈だった。
しかし、それが出来ない。
(なぜだ?)
何故、自分は彼を撃てない?
元凶はこいつではない。
あのゾンビソフトALIVEを手始めに悪魔のようなソフトを制作したのは、私利私欲と妄想に執りつかれた狂った老人達だった。そして彼らはもう起き上がらない。ビクターですら。アクセルが撃ったからだ。
しかし。
トールの言う事が本当なら。
彼を生かしておけば、あの男はまた生き返る。それこそあのソフトの効力だ。生きかえった彼はまた一層の暴虐行為に走り繰り返そうとする。
世界を揺るがす程。
自分とトール為にいくらでも、そこに誰もいなくなるまで血を流すだろう。
なのに。
アクセルはトールを撃つ事に、今明らかに躊躇している自分が理解できないでいた。
トールがふわりと笑んだ。
「君も、僕に貯蔵されたいの?」
挑発している、そう感じた時アクセルの血が一滴残らず逆流した気がした。
瞳が妖艶に濡れる。ともすると引きずりこまれそうになる己に蹴りを入れるように、アクセルは一息つき、ポケットからタバコを取り出す。ゆっくり燻らせ、最短まで燃やすと、それを愛用の古いブリキで出来た小さなアシュトレイに詰め込んだ。
そして、悠然とかまえるトールを見据えた。
「・・・そうやって誘うように仕込まれたのか?」
トールの目が一瞬かっと燃えた。
ああ、やっぱり。
つまりはまだ、子供なのだ。いくらテレパスの人造人間といえども。
アクセルは値踏みするかの如くトールを上から下までじろりと眺めた。
白い首筋。
やわらく膨らむ唇。
直線的な子供の体型なのに、異様なまでに色気を帯びた物腰。
漆黒の髪と透ける緑がかった眼。
なるほど、その中性的な外見は美しい。
神聖視する輩がいるのも分かる。
だが逆にそれがアクセルの心を落ち着かせた。
不自然なものは好みじゃない。
例えいくら自然に見えても、それはビクターの意図による人工的なものだ。
(まあ、素がよくなきゃここまでにはならんだろうが・・・)
それはそれ、だ。
だから引きがねに手をかけた。
今度は撃つ気だった。
「トール、残念だったな。俺の好みはボインねーちゃんなんだよ。それもブロンドの」
その台詞にトールの表情が崩れた。
泣き笑いのようだった。
いや、実際に泣いていた。
「・・・何を泣く?恐いのか?死ぬのが」
ぶんぶんとトールは頭を振る。
もうその仕草からはさっきの妖艶さは消えうせてしまっていた。
代わりに幼い、本来はそうであったろう彼女がそこにいた。
「恐くないよ、・・・ほんとは恐いけど。でもいいんだ、君は僕を助けてくれる」
「助ける?」
「そうだよ、僕は誰かが僕を殺してくれるのをずっと待ってた」
トールは涙を流しながら言う。
「アクセル、僕のこと殺してくれる?」
恐怖より安堵が勝った顔。
もう誰かが自分を利用しようとすることはない。
聞きたくもないものや、見なくてもいいものを見ることもない。
そのことがトールを安心させていた。
そしてビクターはもういない。
アクセルは黙って銃身を下した。
そしてトールに近寄った。
「・・・アクセル?」
トールが声をかける。
じりじりと下がる。しかし、後の壁に阻まれそれ以上下がれない。
「・・・やっぱり恐いよ」
アクセルはその声を無視した。
そして手を伸ばした。
伸ばした先にはすでに死に怯えたトールの身体があった。
「死にたいか?」
その頭を撫ぜ、アクセルは尋ねた。
「うん」
それでもトールは躊躇なく答えた。
「ビクターは僕に、世界を作れ、と言ったよ。でもね、アクセル。
僕が産むビクターは、ビクターじゃない。
だから本当は僕、そんな世界いらないんだ」
それを聞き、アクセルは頷く。
それから銃口を再びトールに向けた。
ぴったりとその頭に着け、眼を見据える。
「さよならだ、トール」
そして引き金を引いた。
*
真実を知らされ、一時騒然となるも、あの地下施設に山と積まれた殺人誘発ソフトは回収され、チップシステムは廃止になった。
残った子供達は保護された。アレクシスが手を回していたので、事件は意外と早くカタがつきそうだ。あの時護衛がひとりも出てこなかったのも、その為だった。
「ちょっとソフトをいじっておいたのさ」
だてに機会を待ってたわけじゃないぜ、悪戯っぽく彼は、ちっちっちと人差し指を振った。
地下を出るとき、奥の部屋から高いびきが聞こえていた。
さすが、というべきか。 護衛がまぬけというべきか。
脂汗すら流せるのだからもしかしたらドンより俳優の方が向いているのかもしれない。 あの汗は本物だった、とアクセルは思った。
トールの存在は世間には伏された。
仕方がない。一般的でないものに、人々は慣れていない。
わざわざ好奇の目に晒す事はないのだ。
まだ闇に出回っている物が相当あるので、しばらくはその回収に追われそうだった。
再び街は新しい犯罪に染まるだろう。
それもすぐ。
それをまたイタチゴッコのようにして。
「アクセル!また遅刻かーっ!?」
エバンズの声が署内中に響き渡る。
日常に流され、やがて人々は今回のことも忘れ去る。
(いいさ)
それが俺達だ。
ふと思い立って、エバンズは尋ねた。
「そういえば。お前はチップを入れてなかったのか?」
「あ?ああ、不自然なものは嫌いな「タチ」なんでね」
内心、お前が生きて帰ってきたことの方が不自然だよ、とエバンズは思ったがそれとは別に、磨かれている手の中の物を見止めて呆れた声を出す。
「センチメーター・マスター?なんだ、お前、今度はそんなもんにしたのか?いいかげん最新式を持てよ」
ただひとつ変わったのは。
アクセルの愛器が自宅の机の中に眠っていることくらいである。
「あー、まあそのうち」
口笛なぞ吹きつつ、机に足を乗っけたままアクセルは聞き流す。
「そのうち」がくることは多分ないだろう、とエバンズはため息をついた。
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